遊撃スピード速過ぎ
2007年2月13日本日の(ry
「…メイドインチャイナ…」
だってお!!!
流石に最後の台詞に「だってお!!!」したらまなストオワタになりかねないので避ける事とした。
さて、まなストを見ていると何故か「かみちゅ!」との比較に走りたくなる。何故?
学美の余りの環境を変化させる力に「こいつ学園の神か何かじゃないか?」と感じ、EDの歌詞「ありがとう神様」の所でいよいよその線が自分の中で濃厚になって、神を扱うアニメと言ったら最近では「かみちゅ!」だな。という思考に至ったのがそもそもの始まり。
で考えると二作品が描かんとしている物に共通点が見いだせる事が判明した。片方は学美、もう片方は神(外部から入って来るのでなく、舞台となる共同体の構成体が神という新しい風を吹かせる存在として昇華した)の出現により発生した「新しい風」の詳細、そして新たに作られた友情なり友人達の送る日常である。両者共にこれらをメインテーマと置いている筈だ。
もしまなストがその描写力に欠けているのならわざわざ傑作「かみちゅ!」を引き合いに出す事はあるまい。しかしなかなかどうして上手いのである。
今回の話だけについて言及しておく。二人の行為は本題とあまり関係ないし我々からすれば有り得ないのだ。(私立小学校出身の身からすれば勉強会すら無かった。悲しい話だ)それがいつの間にか有り得る営みに感じられ、更には一種の憧れを持ってしまう。そこに一本取られてしまった。
「かみちゅ!」にも同様な「良く見せる力」がある。ここで熱狂的な「かみちゅ!」信者である僕から言わせてもらえば、「かみちゅ!」が感覚や感性に訴えかける度合いはもう信じられない位である。キャラへの感情移入が非常にし易いのもあるし「いいなぁ」と感じる物が多すぎるのだ。こんな素晴しく満たされた生き方を見せつけられると自分と比較して落胆するのは当たり前。高1の時に見ておいて良かった。
てな訳でこうして稚拙な文章を書いて来たのだが、両作品には決定的な違いがある。それは時代設定。「かみちゅ!」は1980年代なのに対し「まなびストレート」は約30年後の未来。前者では「昔はこういう心の豊かさがあったんだよな」と懐古的であるのに対し後者は「未来にもこういう心の豊かさはある」と希望的観測をしていると僕は思っている。
さて、あなたはどちらに共感が持てるかな?
「…メイドインチャイナ…」
だってお!!!
流石に最後の台詞に「だってお!!!」したらまなストオワタになりかねないので避ける事とした。
さて、まなストを見ていると何故か「かみちゅ!」との比較に走りたくなる。何故?
学美の余りの環境を変化させる力に「こいつ学園の神か何かじゃないか?」と感じ、EDの歌詞「ありがとう神様」の所でいよいよその線が自分の中で濃厚になって、神を扱うアニメと言ったら最近では「かみちゅ!」だな。という思考に至ったのがそもそもの始まり。
で考えると二作品が描かんとしている物に共通点が見いだせる事が判明した。片方は学美、もう片方は神(外部から入って来るのでなく、舞台となる共同体の構成体が神という新しい風を吹かせる存在として昇華した)の出現により発生した「新しい風」の詳細、そして新たに作られた友情なり友人達の送る日常である。両者共にこれらをメインテーマと置いている筈だ。
もしまなストがその描写力に欠けているのならわざわざ傑作「かみちゅ!」を引き合いに出す事はあるまい。しかしなかなかどうして上手いのである。
今回の話だけについて言及しておく。二人の行為は本題とあまり関係ないし我々からすれば有り得ないのだ。(私立小学校出身の身からすれば勉強会すら無かった。悲しい話だ)それがいつの間にか有り得る営みに感じられ、更には一種の憧れを持ってしまう。そこに一本取られてしまった。
「かみちゅ!」にも同様な「良く見せる力」がある。ここで熱狂的な「かみちゅ!」信者である僕から言わせてもらえば、「かみちゅ!」が感覚や感性に訴えかける度合いはもう信じられない位である。キャラへの感情移入が非常にし易いのもあるし「いいなぁ」と感じる物が多すぎるのだ。こんな素晴しく満たされた生き方を見せつけられると自分と比較して落胆するのは当たり前。高1の時に見ておいて良かった。
てな訳でこうして稚拙な文章を書いて来たのだが、両作品には決定的な違いがある。それは時代設定。「かみちゅ!」は1980年代なのに対し「まなびストレート」は約30年後の未来。前者では「昔はこういう心の豊かさがあったんだよな」と懐古的であるのに対し後者は「未来にもこういう心の豊かさはある」と希望的観測をしていると僕は思っている。
さて、あなたはどちらに共感が持てるかな?
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